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ブログ

生きる意義・意味は何なのか

Guest User

·        投稿者: miyukiphd

 ·       投稿日: 3月 2日, 2019

 

·        Uncategorised

今回は私が十代の頃よく考えていた題材について書いてみたいと思います。ちょっと暗い題材だな、と捉えられるかも知れませんが、ここでは心理学というよりも哲学的に捉えています。でも、鬱の方でちょっと心配な方は、この題材は飛ばして戴いて構いません。

私は幼い頃から本当に子供らしくない、現実的な子供だったと思います。残酷で悲しい場面を理想化したディズニーよりもアンデルセンやグリム童話、ファンタシーよりも伝記や違う時代、国に生きる人たちの実録が好きで、常に真実を知りたいと思っていました。王子様に求婚されるお姫様の物語よりも、アンネの日記の方が私の好みでした。

そんな私もティーン(13歳)になり、ある事に気付いたのです。何故私がここに居るのかという質問に答えがないという事、そして偶然存在する私の生きる意義、意味は何なのか、という質問に答えを見つけられないという事実です。とてもショックでした。他の子たちがアイドルや自分の髪型や服装、好きな異性、将来の夢等を語る脇で相槌を打ちながら、黙々とそんな答えのない問いに答えを探し続けていました。私の通う公立中学や高校では哲学は教えていませんし、そんな事を真剣に話せる大人も私の周りにはいませんでした。当時(80年代)はインターネットもなく、色々な文学に描かれた、時代や国を超えた同じ質問に悩む主人公に自分を重ねていました。でも、そんな私の十代から二十代も、同世代の友達との楽しい時間や個人の目標があったので、存在危機が私の思考を独占し、メンタルを崩す事はありませんでした。私は自分の人生に目標を見つけ、自己実現すれば私の存在危機は救われると信じていました。

臨床心理のお仕事を始めてからは、鬱を患うクライエントさんに度々この質問をされ、「自分で意義や意味を作り上げていきましょう」というような感じでお話しをしてきましたが、私の中で何かが腑に落ちないのです。現実的な私には、この答えが(鬱の方が行動を変える事は大切なので)心理学的には適切な答えでも、哲学的には完全、完璧でない事に気付いていたのです。

そして最近、97歳の哲学者(ハーバート・フィンガレット博士)の死に際のドキュメンタリーを見ました。この中で、哲学者である彼は、「生きる意義や意味があるのか」という哲学の本質的な問いについて語っています。今、こうして70年来寄り添った妻の居ないこの世の中で、年老いた自分一人では容易に出来ない事がある事を受け入れ、死をただ待つだけの人生は本当に空虚で孤独ななのものだと言っています。その一方で、死は無を意味するのだから理論的には恐れる必要は無いと自分の著書にも書いたのに、今現在死に直面し、死が自分自身にとってとても個人的な意味を持ち、まだこの世に残っていたいという欲望がある、と語っています。それは、多くを成し遂げた彼の栄光の時代に気付かなかった事(例えば庭に生えている木々に感謝を込めて眺める事)を後悔している(見逃してしまった)事に由来しているのかも知れないし、単にこの世に対する愛着から来るのかも知れません。どちらにせよ、結局彼は、この質問には到底答えられないと言いました。どこにも答えがないから、ただ有りのままの自分で存在しているのだ、と言っていました。

ここから私が解釈した事は、生きる意義も意味も(答えがないのだから)問うものではなく、そんな事に振り回されるより、自分を含め、今実在するものを慈しみ感謝する事のほうが現実的で有意義だという事でしょうか?私が信じていたように、目標に向かって進むことで幸せも感じ、後悔も少ないかも知れません。でも、それは人生の片面しか見ていないような気がします。それは残酷で悲しい場面を省いて理想化したディズニーのファンタシーの様でもあります。つまり、計画した事を成し遂げる事で生きる意義や意味を作り上げることが出来る反面、人生には不透明なもの、答えのないもの、自分でコントロールできないものがあるという残酷で悲しい事実があります。つまり、私たちに出来る事は、世の中には答えのないものがあるという事を認識し、受け入れながら、自分と共存するもの・人々に感謝し、その時々の自分を受け入れ、自分として存在していく事なのかも知れませんね。 

生きづらい、と感じる人に:スキーマ療法

Guest User

·        投稿者: miyukiphd

 ·        投稿日: 12月 18日, 2018

 

·        臨床心理学

カウンセラーとサイコロジストとの違いを以前ブログで書きましたが、私たちサイコロジストはその人の抱えている問題やその根源、クライアント(来談者)の希望等を考慮した上で、研究結果で効果のある療法の中から、より効果が得られるであろう療法を使います。前回、認知行動療法マインドフルネスについてお話ししましたが、今回はスキーマセラピーをご紹介したいと思います。

――――――――

生きづらく感じたり、同じような負の経験を繰り返してしまうという事がありますか?それはスキーマのせいかも知れません。

スキーマという言葉を聞いたことがある人は少ないと思います。スキーマは幼少期の体験をもとに作られる私たちの物の見方、感じ方、対応の仕方を導く大まかなガイドライン、フレームワーク、枠の様なものを言います。私たちが生活をする上で、膨大な情報を寸時に理解し、素早く行動を起こす事は生き残るという意味でとても重要です。前にもステレオタイプの時にお話しをしましたが、ステレオタイプがある一定の物事や人に対する大雑把な見方だとしたら、スキーマは自分、他人、世の中を理解する時に使われる更に大雑把な枠だと思ってください。スキーマセラピーは色々な患者さんに使われていますが、特に、幼児期に複雑性トラウマ(*下記を参照して下さい)を経験した人に効果があると言われています。

ヤング博士が考案したスキーマセラピーによると、18個の不適応スキーマが存在すると言います。例えば、幼少期に親に酷いネグレクトを受けて育った患者さんがいるとして、その人が「必要な時に誰も精神的に頼れる人がいない」という(感情的剥奪)スキーマを持っているとしましょう。その人は、生まれ持った性質にもよりますが、人に感情や思考を全て打ち明けて理解してもらおうとしてしまうかも知れませんし、逆に、落胆したくないからか、個人的な事は全く打ち明けないかも知れません。どちらにせよ、他人との距離感が上手く取れず、結果的に「やっぱり精神的に頼れる人はいない(感情的剥奪)スキーマ」を持続するのです。私が心理学で最も関心のあるものの一つに「記憶、学習」があります。私たちが物事を学ぶ際、(掛け算の様に)意識的に学ぶ事もありますが、多くの事を無意識の内に学びます。そして、スキーマの様に無意識に学んだ事は、意識を向けない限り意識下に存在し、その威力を発揮し続け、同じような負の連鎖が継続されるのです。マインドフルネスや認知行動療法が現在、ここにある問題に目を向けるのに対し、スキーマは現在だけでなく、過去の問題も遡って掘り下げていきます。そして、現在も続く負の連鎖を手助けしているスキーマを意識上に持っていき、行動を変えていきます。もしも生きづらい、同じような負の経験を繰り返している、という人は、一度スキーマセラピーを受けてみては如何ですか?


*複雑性トラウマとは、繰り返し過酷なトラウマを経験する事をいいます。そして、そのトラウマは震災など自然現象ではなく、人災・対人によるものという特徴があります。例えば、親から繰り返し暴言や精神的嫌がらせを受ける、身体的虐待や身体的・感情的なネグレクトを受ける、性的虐待を受ける、家庭内暴力にさらされる、という事を言います。それに対し、単純性トラウマは、一度経験されたトラウマを言います。単純性トラウマは、きちんと何時何処でという詳細を思い出せるのに対し、複雑性トラウマはその連続性から、一つ一つの経験を切り離して思い出すことが難しくもあります。そして、複雑性トラウマはスキーマ形成に大きな役割を果たすと信じられています。

  

見えない圧力とアイデンティティー

Guest User

·        投稿者: miyukiphd

 ·       投稿日: 10月 10日, 2018

 ·        臨床心理学

ステレオタイプとは私たちの固定観念の事を言います。私たちの認知が近道を使い、その対象物、出来事、人物等を一つの枠に当てはめる事によって、より早く状況を把握し、自分の行動を選択することが出来ます。こういった半面、ステレオタイプは偏見や差別の原因になる事もあります。年齢に関わらず、私たちは日々見えない(ジェンダー、人種、身体的特徴等)ステレオタイプの圧力を受けています。そのステレオタイプは必ずしも肯定的なものとは限らず、それが如何に私たちのアイデンティティーに影響するかという事についてお話ししたいと思います。

私は日本で暮らしている時は、人前で話すことが苦手だと思ったことは一度もありませんでした。むしろ、幼い頃からピアノの演奏や演劇、スポーツなどを通じ、人前に立つことが好きな方だったと思います。日本に居た時は幼い頃から「活発、お転婆、社交的」等とみられ、思春期になって意識的に「控え目」に行動をし始めてからも「内気」等というラベルは一度も貼られた事はありませんでした。ところが、海外で暮らすようになって自分の得意不得意が変わり、他人が自分を見る目も変わりました。例えば、言葉と文化の違いから、当然他人との共通の話題も少なくなり、話す事自体が少なくなります。そして、海外での「元気、外向的」という定義は日本の定義とは違います。そして、アジア人、特に日本人女性のステレオタイプもあります。その為、海外で私は「内気」「内向的」とみられるようになりました。そして、周りからそういう目で見られると、自分もそうなのかなぁと思い始めたり、そういう行動を取ったりするのです。これらの経験を通じて、アイデンティティーについて改めて考えざるを得ない日々になりました。同じような経験は誰にもあると思いますし、公的な立場にあればあるほど、ステレオタイプによる圧力を経験する事は容易に想像出来ます。そして、これは大人に限ったことではありません。

私には二人の息子がいますが、子供達が幼い頃、息子たちには性別に関わりなく好きなおもちゃを選ばせました。洋服も靴も、好きな色を選ばせました。二人とも一番のお気に入りのおもちゃはぬいぐるみやおままごとセット、ボール、パズルでした。トラックや車には目もくれず、好きな色も二人ともピンクでした。比較的ジェンダーニュートラル、もしくは一般的に言うと女の子用のおもちゃが多かったと思います。二人とも幼稚園年長まで女の子が親友でした。ところが、二人とも一年生(満5歳)になると急に、ぬいぐるみも、ピンクも、女の子のお友達も好きじゃない、と言い始めたのです。私が何故か、と問うと、「男の子だから」というのだから驚きです。勿論、皆が皆同じ時期に社会的な圧力を感じる訳ではないでしょうが、二人とも、ぴったり、小学一年生から自分の性別と、性別による社会的に期待された行動を取るようになったのです。こちらの小学校は制服があり、男女差も見た目ではっきりしています。それでも、下の息子は小学2年生位まではどうしてもぬいぐるみと一緒に寝たくて、お友達がお泊りに来るときは10個以上のぬいぐるみを隠さなくてはいけませんでした。

アイデンティティーに影響を及ぼす「見えない圧力」は存在します。この「見えない圧力」はステレオタイプや社会的期待からするくるものです(なるべき自分も参照して下さい)。そして、たとえステレオタイプに否定的要素がなかったとしても、そのステレオタイプに本来の自分が当てはまらない場合、多大な苦悩が生じる事もあります。この圧力は見えないだけに、厄介です。見えない圧力によって苦悩が生じているかどうか、マインドフルネスを使って自分の感情を観察するのもいいかも知れません。もしもこの圧力によって苦悩が生じているとしたら、自分の行動を少しずつ本来のアイデンティティーに沿ったものにすることで、本来の自分に少しは近づけるのではないでしょうか。ステレオタイプや社会的な期待はすぐに変わるものではありませんが、自分の行動は変えられます。私も本来の自分でいられるように、マインドフルネスを使って自分の行動を選ぶようにしています。 

なりたい自分になれない

Guest User

·        投稿者: miyukiphd

 ·        投稿日: 8月 8, 2018

 

·        臨床心理学

自己不一致セオリー(理論)によると、私たちには4つの自分:理想の自分、現実の自分、こうあるべき自分、なりたくない自分、が存在すると言います。理想の自分は自分のなりたい自分像であり、こうあるべきという自分は、周りからの期待で作られた自分です。現実の自分が理想の自分やこうあるべき自分とかけ離れている時に苦悩が生れます。そして、なりたくない自分と現実の自分が近づけば近づく程、とても不安になります。

理想の自分ってどんな自分でしょうか?こうあるべき自分と、なりたい自分の違いが分かりますか?なりたくない自分は何処で感じたものでしょうか?

私は、幼い頃から、経済的だけでなく、色々な意味で自立した大人になることを目標にして来ました。これは、日本という特有の文化に育った反発かも知れませんが、生まれつき活発で自立心の強い私は、大和撫子のような女性(こうあるべき自分)は本当の自分(現実の自分)とは違うと常々感じていました。幼い頃から「女の子なのだから」という言葉が嫌いで、自分が女の子以前に“私”である、と憤慨していました。

しかしながら、十代、二十代前半は、こうあるべき自分がとても大きい存在でした。いわゆる、完璧症でした(詳しくは完璧症に関するブログを参照下さい)。私の中で大きな存在の、こうあるべき自分が現実の自分を支配し、自分のなりたい(理想の)自分を抑圧し、現実の自分がこうあるべきの自分でいなければいけないと感じていました。なりたい自分でいる事が難しく感じ、自分の人生ではなく、誰かの人生を生きているような、とても変な感覚がありました。完璧症は社会からの影響があるかも知れませんが、大部分は自分の生い立ちのせいだと思います。親からありのままの自分を認められていない、と感じると、生まれ持った気性によりますが、多くの場合、周りの目を気にしだして、それが癖になってしまうことがあります。私の経験はLGBTIAの患者さんが感じるなりたい自分と社会的にこうあるべき自分の葛藤と似ているなぁと思う事も多々あります。

今は、周りの目を気にする事もない位、自分を確立したと思います。他人からの賞賛がなくても大丈夫な自分がいます。それも、日本社会のプレッシャーを離れたからかも知れませんが、色々な経験を積んで、本当の自分を見つける事が出来たからこそなりたい自分になれたのだと思います。今なら、誰が何と言おうと、自分の存在が誰かに迷惑を掛けない限り、どこに行っても、自分でいられる自信があります。

さて、皆さんはどうですか?なりたい自分になれていますか?

もしも、なりたい自分になれないとしたら、何故でしょうか?幼い頃に両親にありのままの自分を認められなかった為に、こうあるべき、という自分像に縛られていますか?

恋愛下手

Guest User

·        投稿者: miyukiphd

 ·       投稿日: 6月 8日, 2018

 

·        臨床心理学

私が選んだ職業は臨床心理学者です。メンタルヘルスに元々興味があったという訳ではなくて、学者として一生大学で研究をしようと思っていたので、方向性の違う臨床心理を最終的に選んだのも、本当に偶然というしかない程、計画したものではありませんでした。それなのに、私はこの仕事がとても好きです。意識や記憶の研究がしたかったので、(意識や記憶が多大に影響を受ける)トラウマを経験し鬱や不安症等を抱える患者さんを専門としていますが、いわゆる一般的な誰もが経験するであろう人生の悩みを抱えた患者さんに会うのもとても好きです。キャリアの方向性に悩む患者さんや恋愛下手の患者さんに会うと、若かりし頃の自分を見ているようでもあります。こういった人生の悩みに直視するという事自体は本当の自分、幸せを見つけようという試みなので、必然なのだと思います。

誰もが誰かに愛され承認されたいし、永遠に続く愛情を求めているからかも知れませんが、恋愛関係に関する問題で私に会いに来る患者さんは思ったより多いのです。その問題は恋人関係だけではなく、夫婦関係、愛人関係、別れた人への断ち切れない思い、どうしても理想の相手に巡り会えない、など様々です。一番驚いたのは、浮気の問題が想像した以上に多いという事です。どちらかというと理性的、合理的な私は「浮気しないで順序立てて恋愛すればいいのに?」と初めは思ったのですが、よくよくお話しを聞くと、浮気の期間が長かったりするので、その複雑性も含め、私の合理的な見方は役に立ちません。

例えば、何の落ち度もない、むしろ成功している相手と結婚し、自分もとても地位の高い仕事をしている患者さんがいたとします。可愛くて自慢の子供もいるし、家族ぐるみで付き合う友達もいて、仕事も上手く行っていて一見とても幸せそうです。でも、その関係の中で自分の欲しいことを表現できない為に、心が満たされない、と言うのです。そんなときにその空虚な心を満たしてくれる愛人に出会います。そして、愛人と逢瀬を重ねる度に、戸惑いを感じつつ、満たされる気持ちを感じていきます。と同時に葛藤が生まれます。心の何処かで「このままの状態を続けられない」と知っているのです。心理的葛藤はストレスの原因です。それを解消する為に私に会いに来るのです。

私はどんなお話しをすると思いますか?

まず私は不倫を肯定も否定もしません。私の意見は勿論、倫理や社会的モラルの物差しはここでは次元の違う物差しです。心理学は法学と違います。私はまず、その人の親子関係と恋愛歴を探っていきます。

親子関係は恋愛関係の下になる、愛着スタイルを一番最初に習得する場所です。愛着スタイルはどれだけ見捨てられ不安があり、親密性を回避するかによって4つのスタイル(安定型、拒絶型、とらわれ型、恐れ型)に分類されます。後は、その方のご両親がどの様な関係を築いて子供たちの前で愛情表現をしていたか、という事も探っていきます。学びには親子関係の様に直接学ぶこともあれば、両親の関係を観察する事による学びもあるのです。セラピーの中では愛着スタイルだけではなく、恋愛歴を見ながら、どのように満たされない愛情を処理してきたか(例えば、仕事に集中する事で親密な関係を回避する)等を探っていきます。これらの学びは潜在意識に保存されています。どのように何時学んだかを思い起こす事が出来ないのです。その潜在意識に保存されている知識やスキルは、意識されることなく恋愛相手に反映されている場合があるのです。

びっくりしましたか?セラピーに来たときは「どっちを選んだらいいか分からない。決断をするのを手伝って欲しい。」という感じなのですが、私はその事にはまずは触れません。その患者さんの潜在意識に保存されている恋愛の定義や処理方法を顕在化させる必要があるのです。それを探り、顕在化させて、まずはその知識を患者さんと共有します。そして、共有する事によって、大体の患者さんは自分のこれまでの恋愛パターンや現状も理解できるのです。セラピーは昔の傷口に触れる為、感情的に辛かったりしますが、その反面、感情的に理解を深め、現状について違う見方が出来るようになるのです。

その後、患者さんによってはもっと効率の良い対処方法(コミュニケーションや感情調節など)を教える事になります。そして、過去の傷が癒えた時に、本当の意味での決断が下せるのです。安定型の愛着スタイルと効率的な対処方法を習得し、恋愛上手になっていく患者さんを見るのは嬉しい事です。 

心理学的視点から見る幸せとは

Guest User


·        投稿者: miyukiphd

 ·       投稿日: 4月 14日, 2018

 

·        臨床心理学


多くの患者さんは幸せを感じられないが為に私に会いに来ます。幸せと精神的な安らぎは誰もがが自然と求めるものなのだと思います。今働いているクリニックは地理的にも、殆どの患者さんは俗に言う“成功者”(高収入、高級住宅、高価な車等を所有している人たち)です。ワーカホリックという訳でもありません。では何故「全てを手に入れている」彼らが幸せを求めて私に会いに来るのか、疑問に思う方もいるかも知れませんね。

サイコセラピーを始める上で、セラピーの目標を設定する事は重要なことです。実際、患者さんに共通している目標は「(生きていて)幸せに感じること。」なのです。でも、幸せを追求するには定義がはっきりしていなければいけません。そもそも幸せとは何でしょうか?

幸せが「ポジティブな感情を感じる事」だと勘違いしてしまったら、その感情を引き出す為だけの事(お酒や娯楽等)をするかも知れません。でも、感情は長続きしません。感情は一時的な体験にすぎません。ではどうすれば幸せになれるのでしょうか?

幸せの定義について

心理学の枠だけでも幸せに関する理論は沢山あります。例えば、マズロー博士の欲求5段階説は我々の欲求をピラミッド型に表しました。人は底辺の欲求が満たされると、更に上の欲求を満たそうとします。下から4つ(生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、そして承認の欲求)は欠乏欲求と呼ばれ、一番上の欲求は成長(自己実現の)欲求と呼ばれています。欠乏欲求は満たされない時に欠乏感を感じる為、皆が達成しようと努力するのに対し、自己実現は皆が努力してまで手に入れようとする欲求でもなければ、皆が達成できる欲求でもないといいます。それぞれの段階の欲求についての詳細は下記をご覧下さい。

  • 生理的欲求:空気、食物、住居、暖、セックス、睡眠

  • 安全の欲求:安全、法律、秩序、安定、恐怖からの解放

  • 所属と愛の欲求:友情、親密な関係、愛情と慈しみ

  • 承認と尊厳の欲求“:目標達成、学習、自立、社会的地位、自尊心、他人からの尊敬

  • 自己実現の欲求:自己実現、自己開発、ピーク体験

欠乏欲求と私たちの幸せと関わりについて

物理的な欲求(下二つの欲求)が国の安全や安定した仕事で満たされても、何処にも居場所がないと感じたり、誰にも自分の価値を認められていないと感じていれば、どうしても幸せを感じられないのです。幸せの要素を探求する為に、収入と幸せ感の関係について研究されて来ましたが、幸せには(物理的欠乏欲求を満たすために)ある程度の収入は必要ではあるが、ある一定の収入を超えると、収入と幸せは比例しないという結果が出ています。私の成功している患者さんは、物理的な欠乏欲求が十分に満たされているものの、精神的な欠乏欲求が満たされていない為、どうしても幸せを感じることが出来ないのです。例えば、名声、収入が増えると、同等の友人知人が増え、その輪に所属する為、同等の彼らに認められる為、もっともっと(名声、収入を得たい)という思いが増え、収入と幸せ度が反比例することもあります。つまり、幸せに近づく方法として、どの欠乏欲求が満たされていないのか、どうしたらその欲求を満たすことが出来るのかを考えればいいのです。マズロー博士はまた、幸せの要素である「ピーク」体験についても触れています。ピーク体験は、至高体験とも呼ばれ、例えば何かに没頭したり、深い瞑想に入った時に感じる、最高の瞬間の事を指し、自己実現を果たしている個人はピーク体験を頻繁に感じていると言います。

セリグマン博士による幸せの要素

セリグマン博士はポジティブ心理学の父、とも呼ばれる存在ですが、幸せについて深く研究を続けています。セリグマン博士によると、幸せには次の5つの精神的な要素が必要だといいます。

  • 快楽:ポジティブな感情

  • 従事・熱中する瞬間:流動感(フロー)

  • ポジティブな対人関係

  • 目的:人生の意味

  • 達成感

皆さんの生活にはセリグマン博士の提唱する5つの幸せの要素全てが存在しますか?私自身、患者さんに「幸せを100%感じる人などいないのではないか?先生は幸せを感じますか?」と聞かれた事があります。私は「研究結果によると、幸せを感じる人は実は多いのですよ。幸せは苦しみや悲しみ、ストレスがない人生ではありません。色々な事が起こるのが私たちの人生ですが、私自身は幸せをその都度感じられる自分(の人生)に感謝して生きています」と答えます。幸せは負の要素が存在しないことではないのです。自分の欲求を(許容範囲内で)なるべく満たし、そして、自分の欲求が満たされているという事を意識する事で、マインドフルに幸せを感じる事が出来ます。私は、たとえ自分の余命が短いと悟った時でも、幸せを感じていたいと思います。

皆さんも今日から自分の欠乏欲求と幸せの要素を意識してみては如何ですか?少しでも幸せに近づけるといいですね。 

故郷

Guest User

·        投稿者: miyukiphd

 ·        投稿日: 2月 8日, 2018

 

·        臨床心理学

故郷は日本人にはとても馴染みのあるコンセプトです。故郷は育った場所、というだけではなくて、自分の安心できる場所であり、心を許せる家族、親族、友達のいる場所です。故郷に帰った時に感じる、特別な、温かい感情は日本人特有なものかも知れません。

幼児期に沢山引っ越しをする事が必ずしも悪い、という訳ではないですが、故郷のない人は、大人になってから、自分の場所や友達とのつながりを見出すのが難しいと思う事が多いような気がします。例えば、患者さんの中には大人になるまでに数えられない位引っ越しと転校を繰り返して、友達が出来たと思ったらすぐに次の学校へ転校する、の繰り返しだった、という人達がいます。その人達は大人になってから、友達を作る事はいいとしても、友情を継続していくことが苦手だったり、完璧な場所を求め続ける事があります。

オーストラリアの先住民の方のワークショップに行ったときに聞いたのですが、彼らは自分の故郷を長く離れてしまうと心身の病気になってしまう、というのです。故郷を離れたら、度々故郷に帰らないと生きていけない、というのです。帰省ラッシュというように、年に二回も故郷に帰る日本人にとっても、やっぱり故郷に帰ることはとても大切なのだと思います。特に、祖先を敬う日本人は、オーストラリアの先住民と似ていますね。

あなたには故郷と呼べる場所がありますか?何処ですか?故郷を想像した時に、思い出す事、人、場所はあなたにどんな感情を抱かせますか?

私が東京を離れてオーストラリアに移住してもう17年経ちますが、東京は今でも沢山の思い出、家族・親族、友達が存在する場所です。私の親族は、東京の同じ所に少なくても60-65年は住んでいます。近所でもかなり古株だそうです。私も東京を長く離れてしまうとひどいホームシックになってしまいます。オーストラリアは素敵な国で、多くの人が憧れる地です。とても住みやすい国ですし、子供を育てるのにはとてもいい国です。でも、何かが足りないのです。それは故郷が私にくれる安心感とか、祖先とのつながり、という事なのだと思います。

長い間自分の国を離れて気付いたのは、完璧な場所などどこにも存在しない、という事です。故郷は完璧でなくていいのです。自分が故郷と呼べる国が、町があり、その場所でその土地の文化やそこに住む人々を通じ、自分の存在を再確認出来る事が大切なのだと思います。中東やアフリカから小さなボートに乗ってオーストラリアに命からがら移民した、という患者さんに会ったことがあります。中には、「できる事ならば故郷に帰りたい」「身の安全は確保できたものの、アイデンティティーを失い、心が空っぽだ」という事を言っていた患者さんもいました。彼らは故郷に帰りたくても帰れないのです。

故郷に住み続けている人はむしろ少ないかも知れません。故郷を離れ国内外に移住した方で、幸せに住まれている方も沢山いらっしゃいます。その方々は、移住先が故郷になりつつあるのでしょう。もしくは、定期的に故郷に帰る事で、故郷の有難みを感じているのでしょう。

皆さんには、故郷と呼べる場所がありますか?

悲しみ(Grief)から学ぶ事

Guest User

• miyukiphd


• 投稿日:11月19日 2017 年

人間を含むすべての生き物には有限な時間が与えられており、いつかは愛する人の喪失に直面します。私は、さまざまな形で愛する人を亡くしたクライアントを見てきました。喪失は、さまざまな感情的および実際的な影響を引き起こす可能性があります。たとえば、亡くなった人との未来が永遠に失われたという現実は、悲しみ、虚しさ、絶望を引き起こすでしょう。故人との関係の性質によっては、罪悪感やアイデンティティの喪失など、他の感情も経験される場合があります。故人との関係の複雑さ、故人や残された人の若さ、自殺などの死の仕方(突然、予期せぬ、残忍な死など)などのいくつかの要因が、悲しみのプロセスをより複雑にする可能性があります。子どもの喪失は、すべての喪失の中でも最も困難な喪失の一つであると認識されています。子どもを亡くした親の気持ちは、私の想像を超えています。もちろん、その喪失は人間に限定されるものではなく、家族のペットの喪失である可能性もあります。損失が異なれば、私たちに異なる課題や意味がもたらされ、その結果、感情の種類や強さも異なります。したがって、私たちは自分のペースと時間をかけて悲嘆のプロセスを経験する必要があります。

あなたの特別な人を失ったことがありますか? あなたにとってそれはどんな体験でしたか?

私たちは、予期せぬ、既存の信念体系では説明できない出来事に直面すると、激しい感情を経験します。激しい感情に流されたり、避けたりすると、精神的な病気が発生する可能性があります。自分の感情を判断せずにありのままに受け入れる(=マインドフルネス)ことが大切です。喪失の経験を処理するにつれて、感情は最終的に静まります。このプロセスには、自分自身の人生の限られた時間を認識し、受け入れることも含まれる場合があります。

一部のクライアントは、故人への深い愛を示すために悲しまなければならず、回復の妨げになると私に言いました。これらのクライアントは、喜びを感じることに罪悪感を感じ、自分自身にプラスの感情・体験を禁じています。悲しみのプロセスは、故人を忘れることを意味するのではなく、故人の思い出と共に残りの人生を生きる方法を見つける事でもあります。そして、愛する人を失った後でも、再び喜びを感じるのは悪い事ではないし、その人を愛していなかったという事にもなりません。

大切な人との最後の日は必ず来ます。これはネガティブな考えや脅威ではなく、私たちが考えることを避けがちな真実です。しかし、私たちの運命と私たちが共有しなければならない限られた時間を受け入れれば、日常生活の中で愛する人々とつながる強い喜びが続きます。私の幸福感も、喪失を経験して以来、家族や友人とのつながりに対する感謝の気持ちが増してきました。

あなたは、今日が自分の大切な一日であるかのように、心を込めて生きていますか?大切な人に愛や感謝の気持ちを伝えていますか?

「次回」は存在しないかもしれない、確かなのは「今」だけなのです。

マインドフルネス

Guest User

 ·       by miyukiphd

·      投稿日: 11月18日 2017 

私たちの思考は、落ち込んでいるときは過去へ、不安なときは未来へ向かうと考えられています。たとえば、うつ病のクライアントは後悔や反芻(過去に起こったネガティブなことを何度も考える)を示す傾向があり、不安を抱えているクライアントは「もしも」の考えを示し、まだ起こっていないことを心配する傾向があります。いずれにせよ、彼らは「過去」や「未来」のレンズを通して「今」を見るので、現在の瞬間に喜びを経験することを逃します。

「マインドフルネス」という言葉を聞いたことがありますか?

マインドフルネスは仏教の概念に基づいており、うつ病、不安、不眠症、ストレスなどに対する治療効果が広く認められています。マインドフルネスは感情の調節に関与する脳の一部を活性化するようであり、その有効性は蓄積された研究成果によって報告されています。

マインドフルネスは、特定の態度で、現在の瞬間における私たちの内部(例:呼吸、身体感覚、思考、感情)または外部(例:視覚、匂い、音、食べ物の味、物体に触れること)の経験に注意を払う方法です。 - 判断力、好奇心、そして広い心。マインドフルネスとは、どちらかというと、判断せずに自分の人生を心から経験する、生き方に近いものだと私は信じています。マインドフルネスにより、私たちは自分の人生を十分に経験することができます。たとえば、初めて雪を見たとしましょう。空を見上げると、雪が降り続いています。雪が降ると、顔、頭、体に冷たく湿った感覚を感じます。あなたは自分の思考(雪がたくさんある)、感情(興奮)、行動(手のひらに雪を集め、雪を味わう)に気づきます。そこには判断がありません(例:雪を消費するのは汚い、子供じみた行動をすべきではないなど)。

私はさまざまな民族的背景を持つ多くの人々に会いましたが、日本語は最もマインドフルな文化の一つであると今でも信じています。私たちは伝統的に、毎日ではないにしても、季節ごとにマインドフルネスを実践しています。 「春には桜」、「夏には花火」、「秋には紅葉」を鑑賞したり、「納涼の鐘」や「除夜の鐘」を聴いたりする風習があります。 「旬」を味わう旬のフード・ドリンクも多数ご用意しております。日本では、武道、華道、書道、茶道、さらには掃除までがマインドフルネスの実践に使われています。マインドフルネスは日本の伝統文化の一部であり、日本人はそれを認識していないかもしれませんが、生き方です。

メンタルヘルス疾患は、私たち自身の判断によって悪化する可能性があります。たとえば、仕事でミスをした後、「自分はダメだ」と思い、上司からの否定的なフィードバックを何度も反芻するかもしれません。これらの判断は否定的な感情や身体感覚を生み出す可能性があるため、これは不眠症やうつ病につながる可能性があります(CBTに関する私のブログを参照)。マインドフルネスを使えば、自分の間違いに気づき、判断することなく自分の感情(動揺、落ち込みなど)や身体の感覚(重いなど)に気づくことができます。あなたはこれらに気づくだけです – これらは有効な反応です。自分の間違いを判断するのではなく、ただ自分の経験に気づくだけです。自分を批判するのをやめられないなら、あなたもそれに気づきます。 「自分は役立たずだと考えることで自分の間違いを判断していることに気づきました。」自分の思考、感情、身体感覚が戻ってくるたびに、注意を現在の瞬間に戻しながら、それらに気づきます。最終的には、これらの思考/感情/身体感覚は過ぎ去ります。

過去を変えたり、未来を完璧に予測したりすることは不可能です。私たちが持っているのは現在の瞬間です。私たちの経験は勢いであり、過ぎ去っていきます。そうすれば、より良いことを行うための余地がさらに広がるでしょう。

人によっては、他の人よりも激しい感情を経験する人もいます。マインドフルネスは精神疾患を持つ人だけのものではありません。マインドフルネスは、決まり文句「昨日は歴史、明日は謎、そして今日は贈り物」のように注意を現在の瞬間に戻すことで、私たちの生活を豊かにします。それが私たちがそれをプレゼントと呼ぶ理由です。」

マインドフルネス (誘導瞑想) アプリや You Tube クリップなどが多数利用可能です。あるいは、単に自分の行動(歩く、食べる、シャワーを浴びるなど)に注意を払い始めることもできます。

完璧主義

Guest User

·      by miyukiphd

·     10月17日 2017

「完璧主義」という言葉を聞いたことがありますか?

これは私のクライアントの間で最もよく見られる症状の 1 つです。完璧主義者は容赦ない基準を求め、自分自身が生み出すプレッシャーによって精神的に苦しみます。なぜなら、完璧主義者の自尊心は、(1) 他者との比較、(2) 達成、(3) 他者からの承認によって決まるからです。

それは精神的苦痛を和らげる良いレシピです!完璧主義者は不安症やうつ病を発症する可能性が高くなります。

完璧主義者は、(無意識のうちに)「自分は(より良く)完璧でなければならない」と考える傾向があります。さらに、彼らは、(1) 私たちは皆同じ (長所/短所)、(2) 結果は私たち次第、(3) 私たち自身の判断は信頼できず、他人の承認に頼らなければならない、と仮定しています。 4) 自尊心は普遍的な尺度で測定可能です。その結果、彼らは自分の容赦ない基準を満たさないと、不安になったり、怒ったり、悲しんだりするようになります。また、完璧主義者は自分自身だけでなく他人や環境に対しても高い基準を持ち、周囲の人が疲れ果ててしまう可能性があります。また、他者からの承認を得るために自分のニーズ、欲求、行動を適応させるため、一貫したアイデンティティを失うこともよくあります。

10 代の若者が、アイデンティティがまだ発展途上であるため、仲間と比較したり、仲間の承認に依存して自己価値が不安定になることは珍しくありません。ただし、これが大人になっても続く場合は、あなたは完璧主義者である可能性があります。では、なぜ一部の人は病的な完璧主義者になってしまうのでしょうか?それについて何ができるでしょうか?

心理的状態は、環境、人間の生まれながらの気質/心理的構成、生物学的要因 (遺伝学、身体的特徴など) に由来します。ここでは特に「環境要因」に焦点を当てたいと思います。あなたは、誰かと比較されたり、結果を重視する親から育てられたりして、自分を理解して受け入れてもらうことはできないと思い込んで成長しましたか?子どもの基本的なニーズの 1 つは、愛されていると感じることです。子どもが愛されていないと感じると、子どもに大きなストレスを与えます。私たちは(環境、気質、生物学的要因に応じて)さまざまな対処スタイルを持っており、一部の子供たちは「愛される/受け入れられるためには自分自身を改善し、完璧にならなければならない」という信念を持ちます。最終的には、完璧主義的な考えや行動が自動的に行われるようになりますが、彼らの容赦ない基準はまったく達成できないため、これは「自分には価値がない」という信念を維持する悪循環になります。

自己受容は完璧主義を治すための鍵であり、自分の強みと限界を知り、受け入れることです。本当の自分を知り、受け入れることができれば、自分を他人と比較することがいかに愚かなことであるかがすぐにわかります。猫とライオンを比べるようなものです。猫はライオンにはなれないし、なる必要もない!

本当の自分を知っていますか?私たちは、幼少期から青年期にかけて、自分の強み、限界、価値観、野心を学ぶことで、自分のアイデンティティを育みます。自己受容的な大人は、最初の野心が達成できなかった場合、より現実的でありながらも挑戦的な目標に目標を調整します。そうした人々は目標を達成するだけでなく、その過程で自己認識も深まるでしょう。また、自分自身が脆弱であることを許すこともあります (優れたリソース、Brene Brown の脆弱性の力に関する Ted Talk: https://www.ted.com/talks/brene_brown_on_vulnerability)。

自己受容とアイデンティティについては別のブログ記事で詳しく紹介しますが、自分が完璧主義者であると考えている場合は、認知行動療法 (CBT、に関する私のブログ記事を参照) を使用して自分の完璧主義的な考えや行動を特定することで、完璧主義を弱めることができます。 CBT)。

臨床心理学:認知行動療法 (CBT)

Guest User

• miyukiphd

• 投稿日: 10月17日 2017

心理学は比較的新しい学問であり、認知心理学、組織心理学、臨床心理学など、心理学にはさまざまな下位分野があります。臨床心理学は私の心理学の専門分野であり、日常生活に支障をきたすさまざまな精神的健康状態や不適応行動を研究し、治療します。私が他のすべての心理学ではなく臨床心理学を選んだ理由の 1 つは、臨床心理学が多くの人に適用される (つまり、多くの応用) ためです。臨床現場で働く臨床心理士は、主に精神的健康状態や不適応行動を抱えるクライアントを心理療法を用いて治療します。

まず、クライアントの自己申告による症状と評価に基づいて、臨床心理士が診断 (例: うつ病) および/またはケースの定式化 (原因、引き金、反応/対処、維持要因の特定) を行います。その後、クライアントの同意を得て、臨床心理士は心理療法を使用してクライアントの治療目標を達成しようとします。その効果は研究結果から導き出されます。心理療法のガイドライン(または最新の研究結果)と倫理に基づいて、最も効果的な心理療法をクライアントに通知し、治療することが私たちの役割です。使用しない正当な理由がある場合を除きます(クライアントが以前に最初の治療法を試した場合など)しかし、それが役に立たなかったので、別のアプローチを要求しました)。オーストラリアで臨床心理士になるには、大学で少なくとも6年間学び(優等で学士号を取得し、その後修士号を取得)、その後1年半から2年間の指導付き臨床心理士としての実務を積む必要があります。そして、これで学習が終わるわけではなく、毎年少なくとも 30 時間の継続的な自己啓発を受けることが求められます。定期的な仲間の監督、内省、セルフケアは私たちにとって必須です。

心理療法にはさまざまな種類がありますが、中でも認知行動療法(CBT)は50年以上の研究でその効果が認められています。 CBTは、うつ病、不安症(パニック障害、OCDなど)、摂食障害などに使用されてきました。一般に、人は、悲しみ、怒り、恐怖を感じているときに、自分の「感じ方」を変えようとすると思います。この試みは、薬物/アルコールなどによる抑制や回避など、有害な方法で行われる可能性があります。

一方、CBTは、「状況が私たちの感情の原因ではなく、私たちの思考(信念、認識、認知、状況をどのように解釈するかなどとも呼ばれます)が原因である」という仮定に基づいています。さらに、「私たちの心理状態は認知によって左右され、それが私たちの感情や行動につながります。」これら 3 つの要因が相互作用し、私たちの心理状態を維持していると考えられています。したがって、CBTは、状況(トリガー)を変えることはできないかもしれないが、状況の解釈と反応(行動)を変えることはでき、それが最終的に私たちの感じ方を変えることになるだろうと提案します。

同じ状況でも解釈によって異なる感情が生まれるのでしょうか?たとえば、乗り物がたくさんあるテーマパークに無料で招待されたと想像したら、どう思いますか?ワクワクした気分になるでしょうか?それとも怖いですか?最初の感情 (興奮) は、「乗り物が大好きなので、素晴らしい一日になるだろう!」というあなたの解釈から派生する可能性がありますが、2 番目の感情 (恐怖) は、「乗り物は嫌いです。」から派生する可能性があります。気分が悪くなり、恥ずかしい思いをするでしょう。」行動は異なります。最初の人はテーマパークについて調べてその日の準備をするかもしれませんが、2 番目の人は行かない良い言い訳を考えているかもしれません。この例のように、CBT の仮定がいかに遍在しているかが簡単にわかります。つまり、CBT は、状況 (トリガー) が私たちの自動思考につながり、それが私たちの感情や行動 (および身体的感覚) につながるという見解をサポートしています。

私たちは経験(環境)、遺伝学、気質に応じて信念体系を構築します。私たちは時々歪んだ信念を育み、それらの信念が習慣的な思考パターンになってしまいます。これらは自動思考と呼ばれるもので、私たちの脳が突然の反応のように即座に生み出します。 CBT の最初のステップは、クライアントの自動思考と役に立たない行動を特定することです。次に、クライアントと私は、変化を生み出すために、より役立つ考えや行動を生み出すことに取り組みます。

あなたの健康を改善するために、自分の役に立たない、歪んだ自動思考や役に立たない行動を特定できることを願っています。

私のブログへようこそ

Guest User

• miyukiphd

• 投稿日: 2017 年 9 月 11 日

私は幼い頃から「聞き手」という性格を身につけ、近年ではそれを職業上の役割に活かしています。このブログを始めようと思った理由はいくつかあります。その主な理由は、精神疾患に対する社会的偏見や治療に対する誤解のため、心理学者の診察を受けていない人が大勢いるという事実に基づいています。正直に言うと、大学で心理学を学ぶまで、私は臨床心理学についてあまり知りませんでした。私の最初の興味は認知と記憶 (つまり人間の意識) でした。最近、自殺で大切な人を亡くしたクライアントが増えています。さらに、私の特別な関心はトラウマであるため、多くのトラウマ生存者を見てきましたが、彼らの多くは何十年も静かに苦しみ続けてきました。これらの人々は、精神疾患を患っている(認める)ことは「恥ずかしい」ことだと感じており、自分の苦しみを他の人と分かち合うことなど考えたこともなかったと私に語った。これは、彼らの人生に共感的な介護者や親が不足しており、自分の感情を他の人と共有することを想像できなかったことが原因である可能性があります。あるいは単に、自分に何が起こったのか、そして今の自分を責めているのかもしれません。たとえ彼らに共感的な介護者や家族がいたとしても、彼らがメンタルヘルスの問題を受け入れない限り、私は決して彼らに会うことはありません。心理療法で良い結果を達成するには、クライアントの洞察力と動機が重要な要素です。

したがって、私は、そのような人々が心理学/メンタルヘルスに関する正確な情報を取得し、地元の心理クリニックを受診し、最終的には生活の質が向上することを願っています(願っています!)。また、たとえ精神的健康上の問題を抱えていないとしても、私がそうであったように、自分の心理を理解することで人生が改善されると信じています。

現時点では、オンラインでの心理療法や質問への回答は提供されていません。私のブログをお楽しみいただければ幸いです!