悲しみ(Grief)から学ぶ事
Guest User
• miyukiphd
• 投稿日:11月19日 2017 年
人間を含むすべての生き物には有限な時間が与えられており、いつかは愛する人の喪失に直面します。私は、さまざまな形で愛する人を亡くしたクライアントを見てきました。喪失は、さまざまな感情的および実際的な影響を引き起こす可能性があります。たとえば、亡くなった人との未来が永遠に失われたという現実は、悲しみ、虚しさ、絶望を引き起こすでしょう。故人との関係の性質によっては、罪悪感やアイデンティティの喪失など、他の感情も経験される場合があります。故人との関係の複雑さ、故人や残された人の若さ、自殺などの死の仕方(突然、予期せぬ、残忍な死など)などのいくつかの要因が、悲しみのプロセスをより複雑にする可能性があります。子どもの喪失は、すべての喪失の中でも最も困難な喪失の一つであると認識されています。子どもを亡くした親の気持ちは、私の想像を超えています。もちろん、その喪失は人間に限定されるものではなく、家族のペットの喪失である可能性もあります。損失が異なれば、私たちに異なる課題や意味がもたらされ、その結果、感情の種類や強さも異なります。したがって、私たちは自分のペースと時間をかけて悲嘆のプロセスを経験する必要があります。
あなたの特別な人を失ったことがありますか? あなたにとってそれはどんな体験でしたか?
私たちは、予期せぬ、既存の信念体系では説明できない出来事に直面すると、激しい感情を経験します。激しい感情に流されたり、避けたりすると、精神的な病気が発生する可能性があります。自分の感情を判断せずにありのままに受け入れる(=マインドフルネス)ことが大切です。喪失の経験を処理するにつれて、感情は最終的に静まります。このプロセスには、自分自身の人生の限られた時間を認識し、受け入れることも含まれる場合があります。
一部のクライアントは、故人への深い愛を示すために悲しまなければならず、回復の妨げになると私に言いました。これらのクライアントは、喜びを感じることに罪悪感を感じ、自分自身にプラスの感情・体験を禁じています。悲しみのプロセスは、故人を忘れることを意味するのではなく、故人の思い出と共に残りの人生を生きる方法を見つける事でもあります。そして、愛する人を失った後でも、再び喜びを感じるのは悪い事ではないし、その人を愛していなかったという事にもなりません。
大切な人との最後の日は必ず来ます。これはネガティブな考えや脅威ではなく、私たちが考えることを避けがちな真実です。しかし、私たちの運命と私たちが共有しなければならない限られた時間を受け入れれば、日常生活の中で愛する人々とつながる強い喜びが続きます。私の幸福感も、喪失を経験して以来、家族や友人とのつながりに対する感謝の気持ちが増してきました。
あなたは、今日が自分の大切な一日であるかのように、心を込めて生きていますか?大切な人に愛や感謝の気持ちを伝えていますか?
「次回」は存在しないかもしれない、確かなのは「今」だけなのです。