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ブログ

生きる意義・意味は何なのか

Guest User

·        投稿者: miyukiphd

 ·       投稿日: 3月 2日, 2019

 

·        Uncategorised

今回は私が十代の頃よく考えていた題材について書いてみたいと思います。ちょっと暗い題材だな、と捉えられるかも知れませんが、ここでは心理学というよりも哲学的に捉えています。でも、鬱の方でちょっと心配な方は、この題材は飛ばして戴いて構いません。

私は幼い頃から本当に子供らしくない、現実的な子供だったと思います。残酷で悲しい場面を理想化したディズニーよりもアンデルセンやグリム童話、ファンタシーよりも伝記や違う時代、国に生きる人たちの実録が好きで、常に真実を知りたいと思っていました。王子様に求婚されるお姫様の物語よりも、アンネの日記の方が私の好みでした。

そんな私もティーン(13歳)になり、ある事に気付いたのです。何故私がここに居るのかという質問に答えがないという事、そして偶然存在する私の生きる意義、意味は何なのか、という質問に答えを見つけられないという事実です。とてもショックでした。他の子たちがアイドルや自分の髪型や服装、好きな異性、将来の夢等を語る脇で相槌を打ちながら、黙々とそんな答えのない問いに答えを探し続けていました。私の通う公立中学や高校では哲学は教えていませんし、そんな事を真剣に話せる大人も私の周りにはいませんでした。当時(80年代)はインターネットもなく、色々な文学に描かれた、時代や国を超えた同じ質問に悩む主人公に自分を重ねていました。でも、そんな私の十代から二十代も、同世代の友達との楽しい時間や個人の目標があったので、存在危機が私の思考を独占し、メンタルを崩す事はありませんでした。私は自分の人生に目標を見つけ、自己実現すれば私の存在危機は救われると信じていました。

臨床心理のお仕事を始めてからは、鬱を患うクライエントさんに度々この質問をされ、「自分で意義や意味を作り上げていきましょう」というような感じでお話しをしてきましたが、私の中で何かが腑に落ちないのです。現実的な私には、この答えが(鬱の方が行動を変える事は大切なので)心理学的には適切な答えでも、哲学的には完全、完璧でない事に気付いていたのです。

そして最近、97歳の哲学者(ハーバート・フィンガレット博士)の死に際のドキュメンタリーを見ました。この中で、哲学者である彼は、「生きる意義や意味があるのか」という哲学の本質的な問いについて語っています。今、こうして70年来寄り添った妻の居ないこの世の中で、年老いた自分一人では容易に出来ない事がある事を受け入れ、死をただ待つだけの人生は本当に空虚で孤独ななのものだと言っています。その一方で、死は無を意味するのだから理論的には恐れる必要は無いと自分の著書にも書いたのに、今現在死に直面し、死が自分自身にとってとても個人的な意味を持ち、まだこの世に残っていたいという欲望がある、と語っています。それは、多くを成し遂げた彼の栄光の時代に気付かなかった事(例えば庭に生えている木々に感謝を込めて眺める事)を後悔している(見逃してしまった)事に由来しているのかも知れないし、単にこの世に対する愛着から来るのかも知れません。どちらにせよ、結局彼は、この質問には到底答えられないと言いました。どこにも答えがないから、ただ有りのままの自分で存在しているのだ、と言っていました。

ここから私が解釈した事は、生きる意義も意味も(答えがないのだから)問うものではなく、そんな事に振り回されるより、自分を含め、今実在するものを慈しみ感謝する事のほうが現実的で有意義だという事でしょうか?私が信じていたように、目標に向かって進むことで幸せも感じ、後悔も少ないかも知れません。でも、それは人生の片面しか見ていないような気がします。それは残酷で悲しい場面を省いて理想化したディズニーのファンタシーの様でもあります。つまり、計画した事を成し遂げる事で生きる意義や意味を作り上げることが出来る反面、人生には不透明なもの、答えのないもの、自分でコントロールできないものがあるという残酷で悲しい事実があります。つまり、私たちに出来る事は、世の中には答えのないものがあるという事を認識し、受け入れながら、自分と共存するもの・人々に感謝し、その時々の自分を受け入れ、自分として存在していく事なのかも知れませんね。